2013年05月26日06:00
アダム・スミス
前日PV94。
維持。
昨日記事を投稿して気づいたのですが、一昨日は私記事を書いておりませんでした。
どこか時間感覚が狂っています(笑)
気をつけます。
今日は、あまり考えて書くのをやめて、最近面白い教授に出会ってから読んでいる本の事について書こうと思います。

維持。
昨日記事を投稿して気づいたのですが、一昨日は私記事を書いておりませんでした。
どこか時間感覚が狂っています(笑)
気をつけます。
今日は、あまり考えて書くのをやめて、最近面白い教授に出会ってから読んでいる本の事について書こうと思います。

「経済学史」という講義を受けていて、
この教授の話がとても面白いのです。
アダム・スミスがとても好きらしく、アダム・スミスの故郷や、人物について、いつもずっと笑顔で話しているのです。
しかし、講義は四回目に入ったものの、中身にはまだ全然入っていません(笑)
それでも、話を聞きたい!
と思うので、不思議です。
こんな教授が素敵なんです。
私は、そう思いました。
「アダム・スミス」
彼は、国富論を書いた事で有名ですが、私はあまり理解していません。
講義もまだそこには触れていません(笑)
生い立ちの話を教授はいろいろと話してくれました。
彼の名は、父と同じく
「アダム・スミス」
なぜ、母が同じ名前にしたのか?
それは、父が亡くなった後にすぐ生まれたのが、
子「アダム・スミス」
で、母は生まれ変わりだと思ったからだと話していました。
途中からどっちのアダム・スミスかわからなくなりそうでしたが(笑)
父の名を受け継ぐということは、あの時代は結構多かったのかなという印象が私にはあり、
映画などを観ていても、よく同じ名前の若者と中年が出ているのを観る気がします。
そんなアダム・スミス(以下はスミス)は、どうやらいろいろと勉強をし、教鞭を取るほどになりました。
しかし、一度、無職になりイギリスで三年ほどのらりくらりしながら、
それを見かねた知り合いのおじさんが、地元の大学での教師に推薦し、そこで教鞭を再びとることになった。
すると、スミスが考える「教育」のあり方と全く違い、学校側は講義をしていなかったらしく、生徒も講義がないため、学校には来ない。
そんな状況を目の当たりにしたスミスが、ここから「教育」を立て直し、講義を朝の7時からやり、12時には自分の講義を終え帰宅するような生活をしていたらしい。
朝7時からの講義って、どんだけ早起きしてんだ、いつ寝てるんだ
とか思いました(笑)
そこで、いつのまにか講義の評判を聞きつけ(当時、イギリス全域にまで評判が広がっていたらしい)、法学についての講義を行っていた。
講義は、満席で立ち見が出るほどですごかったという。
こんないろんな生い立ちを話してくれる教授の話に興味を持ち、
アダム・スミスの「法学講義」
を今読んでいます。
アダム・スミスは生前に書いた文書をほとんど燃やしていたため、
この本は、当時の講義を受けていた学生が残したノートを元に作られている。
なぜこんなはっきりと残っているのかというと、
彼の講義を受けれない人たちに、
一字一句ノートを書き込んだ学生が、それを売ることで小遣い稼ぎをしていたのだという。
それで、ノートを元に
現在の「法学講義」が出版されている。
こんなにも人気な講義をしたアダム・スミスってどんな事を考えている人なのか?
こんなにも人気だった法学講義ってどんな授業だったのか?
どんな時代、社会的背景を持っていたのだろう?
とか、思いながらとても興味をそそられました。
読了したらまた感想を書きます。
お楽しみに。
一読
ありがとうございます。

にほんブログ村
以下も
よろしくお願いします。

この教授の話がとても面白いのです。
アダム・スミスがとても好きらしく、アダム・スミスの故郷や、人物について、いつもずっと笑顔で話しているのです。
しかし、講義は四回目に入ったものの、中身にはまだ全然入っていません(笑)
それでも、話を聞きたい!
と思うので、不思議です。
こんな教授が素敵なんです。
私は、そう思いました。
「アダム・スミス」
彼は、国富論を書いた事で有名ですが、私はあまり理解していません。
講義もまだそこには触れていません(笑)
生い立ちの話を教授はいろいろと話してくれました。
彼の名は、父と同じく
「アダム・スミス」
なぜ、母が同じ名前にしたのか?
それは、父が亡くなった後にすぐ生まれたのが、
子「アダム・スミス」
で、母は生まれ変わりだと思ったからだと話していました。
途中からどっちのアダム・スミスかわからなくなりそうでしたが(笑)
父の名を受け継ぐということは、あの時代は結構多かったのかなという印象が私にはあり、
映画などを観ていても、よく同じ名前の若者と中年が出ているのを観る気がします。
そんなアダム・スミス(以下はスミス)は、どうやらいろいろと勉強をし、教鞭を取るほどになりました。
しかし、一度、無職になりイギリスで三年ほどのらりくらりしながら、
それを見かねた知り合いのおじさんが、地元の大学での教師に推薦し、そこで教鞭を再びとることになった。
すると、スミスが考える「教育」のあり方と全く違い、学校側は講義をしていなかったらしく、生徒も講義がないため、学校には来ない。
そんな状況を目の当たりにしたスミスが、ここから「教育」を立て直し、講義を朝の7時からやり、12時には自分の講義を終え帰宅するような生活をしていたらしい。
朝7時からの講義って、どんだけ早起きしてんだ、いつ寝てるんだ
とか思いました(笑)
そこで、いつのまにか講義の評判を聞きつけ(当時、イギリス全域にまで評判が広がっていたらしい)、法学についての講義を行っていた。
講義は、満席で立ち見が出るほどですごかったという。
こんないろんな生い立ちを話してくれる教授の話に興味を持ち、
アダム・スミスの「法学講義」
を今読んでいます。
アダム・スミスは生前に書いた文書をほとんど燃やしていたため、
この本は、当時の講義を受けていた学生が残したノートを元に作られている。
なぜこんなはっきりと残っているのかというと、
彼の講義を受けれない人たちに、
一字一句ノートを書き込んだ学生が、それを売ることで小遣い稼ぎをしていたのだという。
それで、ノートを元に
現在の「法学講義」が出版されている。
こんなにも人気な講義をしたアダム・スミスってどんな事を考えている人なのか?
こんなにも人気だった法学講義ってどんな授業だったのか?
どんな時代、社会的背景を持っていたのだろう?
とか、思いながらとても興味をそそられました。
読了したらまた感想を書きます。
お楽しみに。
一読
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