2013年05月29日14:58
歴史から歴史だけ
前日PV41。
100は超えるつもりだったのに。
話題性があるのに変えよう。
マキシです。
昨今、橋本知事の従軍慰安婦に対する発言など、地元では基地問題について
歴史について言動する際の、その認識の違いによって人がぶつかっている。
そんなタイムリーな話題に関連して
今回は、
「歴史とは」
という題で持論を書いていこうと思います。

100は超えるつもりだったのに。
話題性があるのに変えよう。
マキシです。
昨今、橋本知事の従軍慰安婦に対する発言など、地元では基地問題について
歴史について言動する際の、その認識の違いによって人がぶつかっている。
そんなタイムリーな話題に関連して
今回は、
「歴史とは」
という題で持論を書いていこうと思います。

「歴史」
この言葉を表現する際、私は、遺跡や文書などが残され、それによって社会や生活の背景がわかるものがあるのが前提にあるのではないかと思います。
見つけることが出来ていないまま、それらを考えようとすれば、単なる憶測にしかならない、いくらでも想像し述べることが出来る。
歴史とは、現存するものや確認が出来ていたものがあるのを軸にし、過去について考える事が出来る事を意味に含み、表しているのではないかと思います。
それを踏まえて、
私が住む沖縄の基地問題を考える際、述べる際についての考えを書いていこうと思う。
「基地反対」
がメディアや、赤マル、教授などから常に言われているが
そこで持ち出されるのが、
沖縄と日本とアメリカの歴史についてである。
ここからはブッ飛んでいこうと思います!
ぶった切っていきます!
私は沖縄に生まれて24年が経とうとしている。
米軍に対する違和感があまりない、ましてやグローバル化の中で外国人に対してはオープンな環境が用意されていた。
嫌疑や憎悪と言った、戦時中に何をされたかによるものを知らない。
知ったとしても、本当にあった事実はわかるが、何が悪い、何が良いという判断はつけれない。
論理的に述べられても、そうなのか、といった具合にしかならない。
これを時代の先輩たちは押し付けてくるのである。
全く、天地の差ほどあるジェネレーションギャップが存在している。
世界に目を向け、足を進めようとする私たちに、先入観をびっしりと貼り付けようとする。
気持ち悪くて仕方がない。
じゃあ、私たちはどんなふうに考えていけば良いのか?
持論では、
当時の当事者でない私は、これからは道徳的な判断からしか、善し悪しを決めれない。
しかし、戦争をしない、人を殺さない、
といった他人を傷つけないといったことはわかる。
モラルがきちんと保たれれば、問題はない。
そのモラルを教育してもらったのは、親や先生などの周りの大人たちだ。
そういう大人が周りにいた事に感謝をしなければならない。
私たちはそれを受け継ぎ、次世代に受け渡す。
時代の流れ方の基本的構図。
と同時に、過去への固執を促すようなことは決してしてはいけない。
常に変化していくものの、変わらないものは変わらない。
より時代の変化によって洗練されていくのだ。
基地問題に関しても
ほとんどが、過去の悪しを取り出し、それを銃のように相手につきつけるが、
無駄であり、幼稚であり、愚問である。
それを、教育として後世に繋いでいくのでは、いまの私たち若者の中に起きている違和感を解消出来ないだろう。
社会的背景など、周りの環境は全く違ったものになっているのだから、
教育として必要なのは、変化を辿っていき、何が悪かったのかをちゃんと見えるような事をしなければならない。
常に客観的立場から学べるようにし、主観的になるのは個人の考え方に任せれば良い。
そこには秩序のある。
より歴史の新しい見方、判断を取ることが出来る。
基地解決策も、集団による団結ではなく、1人1人、米軍基地内に住む人と、基地外に住む住民とが話し合う事が、とても重要だと思う。
同じ境遇の人と集まっても、話が進んでいかない・
私と同じように、当事者ではない違和感がどちらにも存在し、受け入れる環境がどこかに必ずあるからである。
っと、
頂上までつきました。
飛んできたね〜
こんな感じになりました。
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この言葉を表現する際、私は、遺跡や文書などが残され、それによって社会や生活の背景がわかるものがあるのが前提にあるのではないかと思います。
見つけることが出来ていないまま、それらを考えようとすれば、単なる憶測にしかならない、いくらでも想像し述べることが出来る。
歴史とは、現存するものや確認が出来ていたものがあるのを軸にし、過去について考える事が出来る事を意味に含み、表しているのではないかと思います。
それを踏まえて、
私が住む沖縄の基地問題を考える際、述べる際についての考えを書いていこうと思う。
「基地反対」
がメディアや、赤マル、教授などから常に言われているが
そこで持ち出されるのが、
沖縄と日本とアメリカの歴史についてである。
ここからはブッ飛んでいこうと思います!
ぶった切っていきます!
私は沖縄に生まれて24年が経とうとしている。
米軍に対する違和感があまりない、ましてやグローバル化の中で外国人に対してはオープンな環境が用意されていた。
嫌疑や憎悪と言った、戦時中に何をされたかによるものを知らない。
知ったとしても、本当にあった事実はわかるが、何が悪い、何が良いという判断はつけれない。
論理的に述べられても、そうなのか、といった具合にしかならない。
これを時代の先輩たちは押し付けてくるのである。
全く、天地の差ほどあるジェネレーションギャップが存在している。
世界に目を向け、足を進めようとする私たちに、先入観をびっしりと貼り付けようとする。
気持ち悪くて仕方がない。
じゃあ、私たちはどんなふうに考えていけば良いのか?
持論では、
当時の当事者でない私は、これからは道徳的な判断からしか、善し悪しを決めれない。
しかし、戦争をしない、人を殺さない、
といった他人を傷つけないといったことはわかる。
モラルがきちんと保たれれば、問題はない。
そのモラルを教育してもらったのは、親や先生などの周りの大人たちだ。
そういう大人が周りにいた事に感謝をしなければならない。
私たちはそれを受け継ぎ、次世代に受け渡す。
時代の流れ方の基本的構図。
と同時に、過去への固執を促すようなことは決してしてはいけない。
常に変化していくものの、変わらないものは変わらない。
より時代の変化によって洗練されていくのだ。
基地問題に関しても
ほとんどが、過去の悪しを取り出し、それを銃のように相手につきつけるが、
無駄であり、幼稚であり、愚問である。
それを、教育として後世に繋いでいくのでは、いまの私たち若者の中に起きている違和感を解消出来ないだろう。
社会的背景など、周りの環境は全く違ったものになっているのだから、
教育として必要なのは、変化を辿っていき、何が悪かったのかをちゃんと見えるような事をしなければならない。
常に客観的立場から学べるようにし、主観的になるのは個人の考え方に任せれば良い。
そこには秩序のある。
より歴史の新しい見方、判断を取ることが出来る。
基地解決策も、集団による団結ではなく、1人1人、米軍基地内に住む人と、基地外に住む住民とが話し合う事が、とても重要だと思う。
同じ境遇の人と集まっても、話が進んでいかない・
私と同じように、当事者ではない違和感がどちらにも存在し、受け入れる環境がどこかに必ずあるからである。
っと、
頂上までつきました。
飛んできたね〜
こんな感じになりました。
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